第88号 「思い出の海を地域の人々と共に未来へ」浜本麦

第88号 「思い出の海を地域の人々と共に未来へ」2014.1.31配信

 重富海岸は、鹿児島の中心にある鹿児島湾(通称:錦江湾)の湾奥部に位置する。湾奥最大の干潟と松原が広がる美しい海岸である。2012年3月に霧島錦江湾国立公園に組み込まれ、今では毎日多くの方が散歩や憩いの場として利用している。

 70年程前までは、塩田として天然塩を作ったり、魚や貝を獲ったり、かまどの焚きつけのための松葉をとったりと、地域の住民の生活の一部として利用されていたという。毎日多くの方が訪れ松葉を持っていくため、海岸は常にきれいに整備され、「白砂青松という言葉はこの海岸の為にあると思っていた」と当時を知る方は教えてくれる。

 私が初めてこの海岸に訪れたのは今から20年ほど前の事だ。従妹や友人たちと、潮干狩りや海水浴をして楽しく過ごした。70年前の海岸を見たことはないが、その頃も人が多く訪れ、海はきれいだったイメージがある。
思い出の海岸だ。

 しかし、10年前再び訪れた重富海岸は、当時の美しさが見る影もないほど荒れていた。ゴミは散乱し、3歩歩けば空き缶や犬のフンを踏んでしまうような状態。もちろん、海で泳ぐ人も潮干狩りをする人もほとんどいなかった。
なぜ、そんなに荒れてしまったのか、誰も明確な理由はわからなかった。
数年程前から徐々に貝が少なくなり、その理由もしっかり調査をしないまま「生き物がいなくなったのは汚くなったから」というイメージがついてしまった。
「汚いから人が来ない」「人がいないからゴミをすててもばれない」「ゴミが汚いからますます人は行かない」という負の連鎖が起こっていた。
昔から近くに住んでいる方々は「昔はきれいでよかったのにね」と悲しい顔をしていた。私も悲しかった。自分の思い出の海岸がこのように荒れてしまい、胸が締め付けられる思いだった。

 「思い出の…大好きなこの海岸を元に戻したい!」その思いから、私たちの重富海岸での活動は始まった。
まず行ったのが、見た目を良くするためのゴミ拾い。ただ拾うだけでは、効果はうすい。毎日拾い、ゴミの種類を分析しゴミが少なくなるように対策をとりながら続けた。
また、同時に「汚いから生き物がいない」というイメージを払拭するため、生物調査とアサリ減少の原因究明調査を始めた。貝は少なくても、他にもたくさん生き物はいる。汚いのではないということを多くの方に知ってもらうため、観察会を行い、使われてなかった海の家を改装して博物館を作った。

 1年程その活動を続けていた頃、少しずつ海岸には人が戻ってきた。よく遊びに来るようになった子供達が、ゴミ拾いを手伝ってくれるようになった。
「僕たちもこの海岸が好きだから、きれいな方がいい。」放課後、まるで部活動のように毎日来てくれた。当時小学生だった彼らは今、高校生。今でも暇なときは海岸に遊びに来る。

 私たちや子供達の様子を見て、近所の方々もゴミ拾いに参加してくれるようになった。「自分たちのふるさとは、自分たちできれいにしたい」。今では毎年2-3回、必ず海岸付近の自治会総出で海岸の清掃をする。親戚が遊びに来たら海岸に遊びに連れて来て、皆が「うちの海岸、いいところだろ」とファンを増やしてくれる。

 今では、「きれいだから行く」「きれいだから汚さない」「きれいだからまた行きたくなる」の正の連鎖が起こっている。よく「人がたくさん来たらゴミが増える」と言われるが、重富海岸は「人がたくさん来ることで美しさが維持されている」海岸である。

 海岸が好きな皆の活動が実を結び、2012年3月、重富海岸は国立公園になった。これからも、私たちは地域の方々と共に、もっと多くの人々に重富海岸のファンになってもらい、このままの状態で未来に引き継げるよう活動を続けていく。

特定非営利活動法人 くすの木自然館
専門研究員 浜本麦
http://www.kusunokishizenkan.com/

2014年01月31日