第61号「より良い自然環境の創生に向けて・・・」篠崎豊

第61号「より良い自然環境の創生に向けて…」2011.10.28配信

自然との触れ合いと心身の健康づくりをテーマに、大自然をフィールドにしたオープンウォータースイムレースの普及・拡大を願い、かつ大会の実施を通じて海と海辺の環境保全にも貢献したいという私どもの趣旨にもとづき2000年に委員会形式で活動をスタートさせた。

10年後の2009年に一般社団法人化が実現した。法人化がなされて3年目を迎えた2011年はいろんな意味でも勝負の年であった。

しかし3月11日の東日本大震災の発生によって我々の活動は揺り動かされることになる。大津波の発生とそれに続く原発問題で協会自体根本から見直しを要求されることとなった。

なかでも人気大会であった松島の大自然をバックにした“奥松島オープンウォータースイムレース”の会場・宮城県東松島市の大原地区が多大な被害を受けたのである。昨年まであったあの漁港が+++あの旅館・民宿が+++そしてそこにあった道路も押し流されてしまったのである。地域の方々の暖かいご助言・ご助力を頂戴して毎年参加者を増やしてきたのに++++ましてや親身になって大会の継続を強く言ってこられた方々が被災したのだ。

また登録選手にとっても大津波の映像を毎日テレビで見るたびに海で泳ぐことの怖さを感じ、それがトラウマとなって選手たちが海から去って行った。我々運営するものにとっても同じこと。大震災後に開催予定の各市町村の災害課と相談してどのような対策をとったらよいのかを模索したが、正直あれだけの未曾有の大災害なのでどこの市町村もすぐには避難経路や事故後の住民対策などをとれずにいた。協会自身も大会の中止基準などを定めてはいたが、この大災害の前にはどうしてよいかなすすべがなかったのも事実である。

大震災後から協会の幹部を招集し、毎晩のように議論を重ねた。
2011年全国で予定されていた大会の開催をどうするのか?協会としての存在意義は?
我々はいまどのようなアクションを取らねばないないのか?


なかなか答えが見えない中で追い打ちをかけたのが原発問題である。放射能が海に流れ出ている+++海がどんどん汚染されてゆく+++これはある意味決定的でもあった。
ある幹部などは“今年の大会は全部中止しよう++そして協会もやるだけ赤字が増えるのならやめようぜ“と。大津波と原発といういわばダブルパンチを顔面に打ち込まれたのである。

そんな中で協会の存続を決定したのは登録選手からの1通のメールであった。

仙台在住のある会員からのメールで、“本当に恐ろしい体験をしました。仲間も失ってしまいました。でも自分たちは頑張ってまいります。がんばるしか選択肢がないのだから+++++協会もぜひがんばって大会を開催してください。そして海の素晴らしさをこれからも伝えてください。負けないでいつか奥松島大会も復活させましょう。++++”と。

わたくしをふくめて協会スタッフには言葉がなかった。「大津波怖いよな~」「原発やばいよ~・絶対放射能で汚染されてるよ~」「泳いでいる場合じゃね~よな」「まだ海に沈んでいる人たちもいっぱいいるのにさ~」などと勝手なことを言い合っていた我々にガツンとカツを入れられたのだ。

そこから復活への道が徐々にではあるが開けていった。

まず「奥松島大会を除いて他の大会は実施する」「大会を通じて自然環境とのかかわりやネガテイブイメージを払しょくしてどのようなアクションプランを実行すべきかを決める」ことを協会の総意として決定し、メンバーへの告知を行うと共にホームページでも「大会実施」を訴えかけたのである。

当然その過程でもいろいろ問題が生じてきた。いわゆる風評被害というもの。

会員同士がフェースブックなどで「海なんか怖くて泳げない」「関東の海で泳いだら被ばくするぞ」などと交信されたりしていてなかなかポジテイブな気分になれずに第1戦となる「南伊豆弓ヶ浜大会」などはエントリーが開始されてもまったく反応なし。第二戦の沖縄なども通常であれば綺麗な海で泳げるイメージが確立しているので参加者も安定しているのだが、そこもまばらな反応があるのみ。ましてや9月に予定されている初の国際マスターズ大会は“台湾や韓国などから今年は参加を辞退させていただく”という知らせが届き、またまた厚い壁にぶつかる。

しかし継続してくれ~という被災地からの声に応えなければならないとの一心で可能な戦略は何でもやろうと言い聞かせ、3月の末にサンフランシスコで開催が計画されていた「オープンウォータースイミング世界安全会議」に急きょ出席し、世界から集まってきた200名を超えるレースデイレクターに「日本は必ず復活する・大丈夫安全な国」であることを訴えかけた。そしてここでは予想を超える暖かい声が湧き上がり、「僕たちが出来ることがあれば言ってくれ~」+++「日本だけの問題ではなく世界が共有する問題として僕らも協力する」+++等々の発言が相次ぎ、なんと全員で犠牲者の為に黙とうが始まったのだ。

思わず涙。++++****と同時に内から湧き出た強い意志「絶対にやりきる」と。

その会議で決められたテーマが;

“Making waves to overcome the Japan’s Disaster”
「大震災に打ち勝つ大きなチカラを!!」

全大会にそのロゴを掲げスタッフ全員でがんばりぬいた。
大会の開催に不安を抱いている各自治体担当者を説得し、漁業協同組合をはじめとする利害団体にもご理解をいただき、開催にむけてあとはまっしぐら。当初参加を敬遠していた選手も徐々に理解を示してくださり、参加数は月を追うごとに増加していったのである。お陰様で10月15・16日の沖縄久米島の最終戦まで大会を実施することが出来たのである。これは大きな自信となりかけがえのない財産にもなったと確信している。

あわせて世界からもうれしい知らせが届き、世界オープンウォータースイミング協会が表彰をおこなっている“Open Water Swimming Man of the Year 2011”にノミネートされたと。JIOWSAの活動が評価されたものと感じ、また涙。でも・でも・でも~全大会が終了したからといってほっとしたり、泣いてる時間はない。我々はもう2012年にむけた計画をすでにスタートさせた。そして逆に元気を頂戴した東北の選手の方々に報いるためにも“奥松島大会は必ず復活させます”と心に誓っている今日である。

一般社団法人日本国際オープンウォータースイミング協会
理事長 篠崎 豊
http://www.openwater.gr.jp/

2011年10月28日|キーワード:震災,海