第220号「自然体験と災害」三好利和

第220号「自然体験と災害」2025.1.31配信

1月17日は、阪神淡路大震災の発生からちょうど30年目を迎えました。神戸では、早朝、多くの方が集まり黙とうが奉げられました。およそ14年前に発生した東日本大震災の発生は3月11日午後2時56分。まもなくCNACの理事会が始まろうとしてところ、東京でも大きな揺れを感じ、会議室のテレビをつけると、神戸と同じように、まるで映画の世界のシーンのような光景が次から次へと放映されていました。海岸部から川をさかのぼる津波の様子、次々に家をのみこんでしまう光景は今でも忘れることはありません。
30年前の阪神淡路大震災の際に、私は発生から2週間後、神戸の東灘小学校にいました。まだ、CNACも、CONE(NPO法人自然体験活動推進協議会)も発足されていない時代に、アウトドアの事業者のネットワーク団体として設立されていた日本アウトドアネットワーク(JON)のメンバーが、震災発生後の神戸で拠点をつくり支援活動が始まりました。
言い出したのは、海外でもボランティア活動の経験がある静岡の自然学校の代表です。震災発生後のライフラインが途絶えている状況で、「活動できるのは我々アウトドアマンしかいない。じっとしていていいのか、私が拠点を作るのでみんなで支援してほしい」と言って一人で神戸に乗り込んでいきました。そして、その言葉の通り、ボランティア元年とは言われますが、手ぶらで訪れたボランティアの対応に追われ、混乱している避難所の小学校のグランドにテントを張り、自炊をして、支援活動をする拠点を作り、避難所を運営する行政にも認められ(認めさせた)、支援活動が始まり、1週間単位くらいで、 JONのメンバーが交代で現地入りしました。その時の体育館は遺体安置所になり、避難者は各教室に入り、まさしく、床の上に持ち込んだ寝具などで寝泊まりをしていました。東灘小学校は今でもよく写真が使われる高速道路が横倒しになった所から山側に500mくらいにあるところでした。
あの時に必要だったのは、自分の生活を確保できて、人に支援が出できる人でした。まさしく、アウトドアで活動している我々のキャンプそのものでした。当然、行政の方からも頼られるようになり、避難所の方からも認められ、避難所をまとめられていた自治会の会長さんにも信頼されました。その後3月まで支援活動が続き、支援活動の場所はもう1ケ所増えました。
3月の避難所が閉鎖になるときには、子どもたちや保護者と校庭でキャンプファイヤーをするまでになっていました。災害時に取り残される子どもたちへの支援も、我々の役目でした。あそびを提供し、子どもたちにも少しずつ笑顔が戻ってきました。
海の体験活動に限らず、体験活動に大切であり、不可欠なことは人と人につながりではないでしょうか。災害時に自助や共助という言葉が使われるようになりましたが、人を助けるのは人でした。被災者がジャングルジムに掲げた横断幕の言葉は「みんながボランティア」。その精神はその後の災害発生場所でも継続されています。 2024年10月に発生後から微力ですが、支援していた能登半島にも行く機会がありました。小さな拠点ですが、本当に様々な人が活動していました。今後もできることを実行して、支援していきます。
災害時にこそ、私たちが出来ることがたくさんあります。皆さんの支援もお願いします。


CNAC代表理事/野外教育事業所 ワンパク大学 代表 三好利和
https://wanpakudaigaku.jp/
2025年1月23日|キーワード:震災、連携