第193号「CNACと海の再生」大浦佳代

第193号「まちに、ひとに、歴史あり―兵庫運河の里海づくり」2022.10.28配信

 こんにちは。個人会員の大浦です。
 先日、WAVE近畿事務所(神戸市)・鈴木覚さんのお声がけで、兵庫運河の冊子づくりをお手伝いしました。兵庫運河は、明治32年に完成した全長6.5kmの日本最大級の運河です。この地域には古くから港があり、平清盛が築いた「大輪田泊」もこのあたり。江戸時代には内航の重要な港町「兵庫津」として栄えました。
 明治以降、運河のおかげで工業が発達しました。しかし戦後になると船が大型化し、浅くて狭い運河は輸入木材の貯木場に。やがて、黒い水がよどむドブになってしまいます。 そこで、環境再生の機運が高まります。まず1971年、木材業者など100近い企業が「兵庫運河を美しくする会」を結成。地道な清掃活動を始めます。並行して、下水処理や工場排水の規制が進みました。さらに、木材は製材されてコンテナ船で運ばれる時代となり、運河から丸太が消えます。こうして兵庫運河は、生物多様性に富む豊かな水辺となったのです。
 2013年、5つの団体が「兵庫運河の自然を再生するプロジェクト」を設立。アマモの移植、生物の調査、アサリの養殖実験などの「里海づくり」を盛り上げています。構成メンバーは先述の「美しくする会」、兵庫漁協、運河沿いの小学校、水辺の調査研究を行う「兵庫・水辺ネットワーク」、そして兵庫区の小学校PTAが環境と命の教育として15年前から運河で真珠養殖に取り組む「兵庫運河・真珠貝プロジェクト」です。
 今回、各団体にインタビューしましたが、とくに興味深かったのは、2、3代前に移住してきた人たちが多いこと。たとえば「美しくする会」の会長さんは木材屋の社長さんで、祖父は愛知・岐阜の県境の山間地出身。一旗揚げようと、鐘淵紡績の大工場があったこのまちに来て、紡績機械の梱包木材の会社を興したそうです。 「真珠貝プロジェクト」の会長さんは鉄工所を営みますが、祖父は越前の東尋坊近くの出身。戦時中に南洋の造船所で働いていた祖父が、戦後、造船所のあるこのまちで下請けの町工場を始めたといいます。
 漁協で里海づくりの活動を始めた前組合長さんも、意外なことにお父さんは高松市の出身。高松は鐘淵紡績の女工さんを多く出していたことから、地域の縁があり、こちらに来て漁師になったそうです。この前組合長さんは、中学を卒業後、父の漁船を借りて運河で丸太を運ぶ仕事をしていたといいます。 話を聞いた人はみな、子どものころに運河で遊んだ楽しい思い出があり、木材屋さんや漁師さんは運河が仕事の場にもなりました。そして「環境活動はお世話になった運河への恩返し」だといいます。人がつくった運河がまちをつくり、まちは人を呼び、そして今、運河を愛着のあるふるさとの水辺にしようと人々が尽力している。とても感慨深く思いました。


海と漁の体験研究所 代表 大浦佳代
2022年10月21日|キーワード:運河、漁業、アマモ、連携