第184号「「地震・疫病・オリンピック」極めて個人的なコラム」佐藤茂夫

第184号「「地震・疫病・オリンピック」極めて個人的なコラム」2022.1.28配信

小生は1951(昭和26)年日本がアメリカの占領下独立を果たす前の6月に新潟市内の海の近くで誕生した。新潟市は古くからの旧市街は海側にあり信濃川の両河口を港とする北回り船の港町であり、洲の上に出来た街である。
高校を卒業して2年後ようやく憧れの上京を果たすことが出来たが、2年間の浪人生活は先に上京して行った同級生が当時は下火になってきた学園紛争などの渦に巻きこまれ、輝いているようにも思えた。おいてきぼりの焦燥感にかられていた青春時代であった。
2021年も新型コロナ渦に巻き込まれて右往左往の一年であったが、個人的には高校時代より始めた空手が柔道に続いてオリンピックの種目となり、空手競技の入場券が幸運にも1枚当たっていたにも拘らず、残念ながら、無観客開催となった次第である。北九州からの道程は?宿泊は?と思い煩う必要もなくなったが、夢であった空手競技の初めてのオリンピック種目を直接観戦する事は出来なかった。痛恨の思いである。前回の1964年の東京オリンピックは日本の戦後復興の祭典であり、新幹線の開通や高速道路の建設などで日本中が沸きあがり、新しい日本の晴れ姿を世界中披露するための締め括りの巨大イベントであった。10月10日に開催し「体育の日」となり、国民の祝日となったが、現在は日程も不定期(10月の第2月曜日)となり、名称も「スポーツの日」となり、オリンピック開催も秋から夏へとある力?で変更させられた。
当時小生は中学一年生であり、その年の6月11日には第19回国民体育大会の開会式が信濃川河口に近い新潟県営陸上競技場で行われ、地元の中学生であったため動員をかけられ旗を振っていた。オリンピック競技会の露払いである。しかし5日後の6月16日13時2分新潟県沖でマグニチュード7.5の地震が発生した。地震により鉄筋の校舎は大きく揺れ、傾き、一部は剥がれ落ちてしまった。生徒は校庭に集められ、教師からの指示は「静かに待て」だけだった。余震によってグランドは何度も大きく左右に揺れ、国体に備えて建設された昭和大橋は欄干が橋げたから外れ川に落下し、近代的な鉄筋アパートは液状化現象により土台が傾き、そのまま倒壊した。校舎の近くの石油タンクが燃え上がりキノコ雲のようなどす黒い煙が12日間も立ち込めた。
震災からの復興が始まり、校庭に作られたプレハブ校舎で東京オリンピックのテレビ中継を授業中に観戦した記憶がある。日本中は4ケ月前の新潟地震のことなどすっかり忘れオリンピック一色となった。被災地新潟でも東京オリンピックは明るいニュースであり、晴天の青空に五輪が描かれた。柔道無差別級決勝でオランダのアントン・ヘーシンク選手に神永昭夫選手が寝技で敗れ、この事が柔道の国際化に向けた、基となったとされる。今回、水泳の池江璃花子選手が白血病を発症しながらも治療とオリンピック出場へ向けた言葉は日本中を駆け巡った。
地震についてもその後、新潟近郊では2004年「新潟中越地震」2007年「新潟県中越沖地震」2011年「長野県北部地震」2019年「山形県沖地震」が発生し、あるはずのない関西において「阪神淡路大震災」が発生し、「東日本大震災」による震災と津波と放射線の被害に日本は遭遇した。
今は2022年1月15日である。新型コロナウイルスオミクロン株が急激に患者数を増やしている。どのような事態が私達を待ち受けているのか、海に学ぶ体験活動協議会にとって新たなる一歩が歩みだせる年となる様、九州の地でも励んで行きたい。或る言葉を思い出した。『患難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず』
2022(令和4)年が少しでも良い年となるよう祈る。


CNAC理事/NPO法人玄海ライフセービングクラブ代表理事 佐藤茂夫
2022年1月17日|キーワード:震災、オリンピック