第91号 「魚を最初からおろして食べてみた」長谷川孝一

第91号「魚を最初からおろして食べてみた」2014.4.25配信

 鎌倉は海の街だから、4月から10月までは海で活動を続けている。海の自然と遊び育まれるという貴重な時間を、限界まで楽しんでほしいという願いからだ。しかしそれも季節風が吹く10月頃まで。子どもの冷えやすい体では、それがウエットスーツを着て活動できる限界になる。
それなら、と今度は海に繋がる森へと入っての冬の活動が始まる。ただその前に、実りの秋がある。この束の間のしかし文字通りとてもおいしい季節は、体験として見逃せない。秋は回遊魚達の、あるいは冬支度する魚達に、油がのる時期で、日本人が、古来より最も楽しみとしてきた季節だ。

 私の子どもの頃、魚料理が各家庭の食卓に上がる確率は7割ぐらいだった。特に私の家は、祖父が漁師の家系だったから、好きな魚がお膳に上がるのは頻繁で、魚食率10割といっていい。しかし他の家であっても、その時代、肉はあまり食べてはいない。信じられないかもしれないが、横浜という土地柄もあってか、安価な動物性タンパク質といえば小魚しかなかったのだ。その頃のごく普通のそんな暮らしは、今はだいぶしぼんでしまっている。魚を食べるとなると、「マグロー!」とくる。それではさびしいし、海が本当に忘れられてしまうではないか。

 だから、この季節ならではの海体験として、私達は、魚料理の活動を1回は計画する。できれば、浜に出て収穫体験もさせたいが、日帰りでは難しいから、漁師さんの手から直接買い求める事を魚料理活動のスタートにしてきた。それを小学3年生から6年生まで経験すると子ども達は、なんの躊躇もなく魚をおろせる子にもなる。

 魚をおろすからには、デバ包丁は切れるものでなければならない。だからちょっと触れただけでも切れるほどに磨いでおく。自ずと私の指導も板場の親方のように口うるさくなるが、不思議と子ども達は見習いよろしく真剣に励んでくれる。いつの間にか調理室は、本当の板場のような空気と化すのだ。笑)そしてそういう時はきまって怪我が少ない。

 魚は、脊椎動物であるからたくさんの血液が通っている。切るとそれがどょーんと出てきて、それをほっておくと、大型獣ほどではないが、まな板の上はまるで事件現場のようになってしまう。魚屋さんは、それが魚に着かないよう、常に水を流してまな板を清潔に保ち、魚を手早くさばく。子どもの頃、私はそれを飽きずに眺めたものだった。

 カツオを下ろした時には皆で唖然とした。信じられない量の血がまな板を被ったからである。激しく運動をする大型の捕食魚は、豊富なヘモグロビンがあるからこそ大海原をかけ回る事ができるのだ、と納得。内臓をボールに移し、血を水で流して、魚屋さんを真似てまな板を綺麗にする。そして切り分け行程にうつる。これが上手にできるようになるくらい、何種類もの魚を繰り返しおろすことで、子ども達の包丁さばきは上達していった。

 この活動の次の日、保護者から一通のメールが入った。
昨日、子ども達が家に帰ると、私が買って冷蔵庫に入れておいたイサキを見つけたんです。それを見るなり「私達にまかせて」言う。そして私の目の前で、魚をまな板の上におき、なんと包丁でおろし始めたんです。怪我でもしたらと、はらはらしながら見ていると、手さばきに危なげがない。魚はどんどんさばかれていって、ついにまな板の上に綺麗に並べられました。それを自分達で煮魚にして、家族みんなで食べました。2人はとても誇らしげな顔で食べていました。私の子がこんなことができるようになったなんて・・・。という内容だった。

長谷川孝一 ama水辺の自然文化研究所・地球の楽校
http://www.pocket.co.jp/ama/
→只今新たに地球の楽校HP作成中につき、しばらくお待ちください。

2014年04月25日|キーワード:食