第135号「海洋国家『日本』に想う」2017.12.28配信
海洋国家「日本」という地形学的特異性を日本人は、あまり気がついていない。世界から見れば明らかなのだが・・・。
海洋が地球全体に占める割合は、70.8%である。精神的な面でも内陸に住む人々は、一度は海を見たいというあこがれがある。また、母体は、子宮の「羊水」のペーハー(ph)は海水と同じであり、まさに人は海から生まれた。全ての生物がそうであるように。
日本人は、他国からの侵略の脅威を海で守られ、独自な文化を保ちえた。
唯一2300年にわたり君主国家であり得たということが、世界から見ればあこがれであり、独自の文化をつくりあげる事ができたのである。
海からの恵みは、汽水域の漁業から外洋まで日本を取り巻く全ての海域から食料をもたらした。
その中で、汽水域は特に生活に密着する大切な場であった。子供でさえ、海へ出れば魚をとったり、貝をとったり、海藻をとったり・・・。飢えを知る事なく育つことができた。
しかし、明治以降、特に昭和の大戦の後、日本は所得倍増計画のもと一極集中、つまり、大都市に人口を集中させ、消費文化を作り上げた。
そのことは大きな問題を引きおこした。都市部では、大気の汚染、海、河川の汚染により、海産物は、とれなくなった。汽水域の漁師は仕事ができなくなり、職業を変えた。都市のスプロール化(無秩序な拡大)により農業ができなり、地産地消もできなくなった。
都市部では、沿岸の埋め立て、農地の宅地化が始まり、地方から人々が流入した。一方、地方は人々の流出により、過疎化が進み、文化が喪失し、地域のコミュニティーも崩壊寸前となっている。私の地元でも、人口の10分の1しか地元と言える人がいない。都会では、10人中9人が地方から入って来たことになり、地方では、その分の人々が流出したことになる。
そもそも、戦後の政策では、追いつけ追いこせという日本人の独特の勤勉性は大戦に向かわせた時と同じようだ。その結果、「国敗れて山河無し」にしてしまった。そして、日本の文化、生活の仕方さへ変えてしまった。
それは、西洋化にあこがれた日本の姿を表わしている。豊かさとは何か。精神、経済的両面から今一度日本をどうすべきか、立ち止まって考えなければならない時が来ている。
日本人のこれからの歩むべき道を謙虚に反省し、次世代の子供達のためにどのような視点で国づくりをすべきか、大いに論議しこれからの100年の世界を考え「十方世界」の親善を期さなければならない。
子供たちが海や川に入れない、泳ぐことが出来ない。プールでは泳げるが海では泳ぐことができない子供・・・。後者については、教育という観点からみると極めて問題である。何のために泳ぎを学ぶのか。私は、「自らの身は自らで守る」ためであり、競泳選手をつくるためではないと考えている。このようなことで、海洋国家「日本」の再生ができるわけがない。
「ふるさと」という言葉は、日本のそれぞれの地域文化の基であり、それは、その地域の自然がつくりだすものである。都市の再生には、例えばラムサール条約(湿地の保存に関する国際条約)のような舶来の思想ではなく、日本に古来から存在する自然と人間が共生(ともいく)するという思想を前提とした「里海・里山思想」の復活が必要である。それが都会の子供たちにとっての精神のよりどころになると考える。
CNAC理事/認定NPO法人ふるさと東京を考える実行委員会 理事長 関口雄三