第16号「「効率化」の果てにあるもの」井上岳

第16号「「効率化」の果てにあるもの」2008.1.28配信

十数年前の学生時代はどのようにすれば最適な土木構造物が組めるか、数式と計算機を交互にニラメッコし、技術開発に勤しむ毎日であった。

 ある日、ふと思ったこと。技術開発は確かにコスト削減と省力化をもたらす。技術開発を成功させた企業は一時的には対外競争力を確保するだろう。しかしながら、いつかは他の企業にキャッチアップされる。コスト削減と省力化が世の中に拡大再生産され続ける。

 狩猟の時代は、自らの食糧を自ら調達してきた。農耕文化が根付くと、分業化が進み、狩猟の時代よりも少ない労力で自らの生計をたてることができた。産業革命もあった。今や、一人の力で何万人分の食糧を生産できるまでになった。

 食糧の世界だけではない。技術開発の成果によって、多数の人々の必要最小限の生活が少数の人々の労働だけで充足されるようになった。

 「少数の人々」以外の人々の生活の糧は、企業があの手この手で売りつける「いろいろなもの」によって充足される。大迫力の超薄型テレビ、あらゆる機能を兼ね備えたケータイ、無駄に馬力を積んだ高級自動車、その他、諸々。

 「いろいろなもの」を生産し続けるには、自然からの搾取を続けなければならない。しかし、生産を止めれば、「少数の人々」以外の人々は、社会から完全に遊離された存在となり、人間の社会性は奪われる。自然と人間、どうバランスをとっていくのかが課題である。
 

国土交通省港湾局 井上岳

2008年01月28日