第79号「私のフィールド 江の島の魅力」小池潔

第79号「私のフィールド 江の島の魅力」2013.4.26配信

片瀬中学2年A組の小川透君は、江の島に海洋科学を研究する水族館を作りたいと考え、『僕は江の島をこうしてみたい』という楽しい論文を書いた。
『遊覧船で島の施設を回れるようにする』『島の景観を損なわないように配慮し、倉庫などの建設は認めない』らしい。
『放し飼いの魚を観覧できるスペースもつくる』そんなことしたら、魚は取られ、ゴミだらけになると心配する向きも、ご安心あれ、『これが完成する頃の人間は、必ず公徳心に富んでいるので大丈夫』なんだそうである。
そう、実はこれ、現在の話ではなく、書かれたのは、時に昭和23年、えのすいの前身である江の島マリンランドが誕生する9年も前のことである。

戦後間もない昭和23年、新制片瀬中学に「科学部」が誕生し、顧問の先生は、今私たちが歩いている江の島の磯を生徒たちと歩き始めた。
焼け野原に立ち尽くし、物資も乏しく実験器具もない。理科教育の重要性は思い知らされたものの、何をどう始めたらよいのか、戸惑いと試行錯誤の日々だったに違いない。

天然の実験室は江の島の海辺にあった。とにかく夢中で磯の生き物を指差し続けていたというのが本音だったかもしれないけれど、きっと、子供たちの中に科学する心を育てる事で、日本の復興を夢見ていたのだろう。
希望は将来を託す子供たちの成長だったに違いない。

科学部の様々な研究結果は『かわいい科学者』という小冊子にまとめられていった。昭和26年の「かわいい科学者」は、ついに江の島の生物や地形研究を集大成したものになった。現在に至るまで、それは理科教育の輝かしい成果として藤沢市の古い理科教員たちの語り草になっている。先に紹介した小川君の論文は、これに掲載されたものである。
私は貴重な現物をお借りして、すべてをスキャンしてデータ保存させていただいた。そこには当時の片瀬中科学部の皆さんがまとめた、江の島貝類一覧や植物一覧も掲載されている。今も変わらぬ「ウノアシガイ」や「イワフジツボ」などという単語を思い浮かべながら、実際にそれらを指差して観察会参加者に磯を紹介していると、いつしか時代を超えて当時の片瀬中学の科学部の先生の視線になり、現代の子供たちを追ってしまう。

当時はまだ、科学の力で克服すべき対象だった自然は、今では科学の力でそれを深く理解し、どうやって共存していくかということに視点は移っている。かつてイルカが水面を翔び、ウミガメがはるかな旅から産卵に戻ってきて、クサフグが干満のダイナミックな動きを利用して集団産卵する江の島の磯から、ヒトもまたその自然の調和の中でしか生きられないことを私は学んだ。
そしてその調和が織りなす美しさと不思議さには今でも魅了され続けている。

すべての人にとって安全に活動するには決して理想的ではない条件の江の島の磯。でも、そこをどうしても多くの地元の若年層に案内したい。都市の近くにあって、都市生活者が気軽に自然体験できる磯。喧騒をわずかに抜けたところで人知れず繰り広げられている自然の驚異。人の生活と自然の関係について多くの示唆に富んだ江の島。これは実際に見て感じてほしい。

その思いが、惜しげもなくご教授いただけた多くの先輩たちの安全管理のノウハウを勉強するモチベーションとなった。研究者でない私にできるのは、参加者を転ばせないことと、生き物を指差すぐらいのことだ。自分だけでは到底見つけられなかった多くの生物を、参加者に見つけてもらって楽しんでいる。毎回観察会は楽しい発見に満ちている。

遡れば、モース博士が、漁師の網小屋を改良した臨海実験所で研究を始めてから140年近くの間、誰かしらここに魅せられたおせっかいなおじさんが、ずっと生き物を子供たちに見せ続けている。モイヤー博士も、ジェーン・グドール博士もこの江の島で、子供たちと一緒に磯の生き物を観察してもらうことができた。

私自身は観察会では子供たちからいろいろな質問が出てもまともな答えができず、失望されて続けているが、多くの研究者の地道な研究と、研究のためのテクノロジーの進歩により、これまでわからなかった生物の生態が徐々に明らかになろうとしている。

クサフグはなぜかくも見事に潮の動きとシンクロできるのか、ウミガメはどんな旅をして、どんなナビゲーション技術でここにたどり着くのか……。
私に答えられない多くの疑問は、将来、一緒に海を覗き込んでいたこの小学生たちのうちの誰かから聞けることになるかもしれない。
そんな日を夢みながら、また今シーズンも江の島の磯を観察会参加者と楽しみたいと思っている。

マリンオフィス ムーンベイ 代表 (CNAC副代表理事) 小池 潔

2013年04月26日|キーワード:生き物