第119号「大阪の海は悲しい色?」岩井克巳

第119号「大阪の海は悲しい色?」2016.8.26配信

CNAC初心者マーク、大阪湾を中心に活動している岩井克巳です。今日はその大阪湾についてご紹介いたします。

みなさん、大阪湾と聞いてどの様なイメージを持たれますか?
以前、近畿のある地域で聞き取りをしたところ、”危ない(怖い)”、”臭い”、”汚い”という意見が上位を占めました。
確かに、昭和40年代後半はそうだったようです。当時を知る方によると、海水はなんとも言えない色に濁り、泡やごみが浮き、鼻を突くような匂いがしていたそうです。
これは、高度経済成長を支えるための港湾整備、工場や住宅の立地によって湾奥部の浅場や干潟の埋め立てが急激に進んだことで、海が本来持っていた自浄機能がついていかなくなったためです。特に湾奥は最悪の状態だったと言えます。
この頃の大阪湾を青春ど真ん中で眺めていた現在の50~60歳代の方たちは、当然のことながらこんな大阪湾には近づかなくなり、そのお子さんたち(現在の30~40歳代)も必然的にふれ合う機会が無くなっていきました。このことが、今でも冒頭のイメージに繋がっており、人と大阪湾との間に大きな隔たりを感じる“近くて遠い大阪湾”となり、タイトルにも書いた歌のように「大阪の海=悲しい色」のイメージになってしまったのでしょう。

もともとの大阪湾は、“魚庭(なにわ)の海”、“茅渟(ちぬ)の海”と呼ばれるほど漁業資源が豊富な海で、当時の人々は生活の一部として大阪湾に触れ、活用していました。
特に、私たちが活動フィールドとしている南泉州地域は、かつては遠浅の砂浜や礫浜にアマモやガラモが繁茂する多様な生物生息空間が拡がっていました。そこは多くの魚介類の生育場であり、周辺ではイワシ、アジなどの回遊性魚類からアワビ、サザエ、ハマグリなどの貝類まで、多様な種類の魚介類が生息し、各家庭の食卓に地元の魚介類がのぼっていました。この様に人と海(自然)が生活の中で関わることで、地域を小単位とした海と陸との循環系が形成されており持続的な環境保全にも繋がっていました。

では、最近はどうでしょうか?
昭和45年以降、「水質汚濁防止法」、「瀬戸内海環境保全特別措置法」が相次いで施行され、大阪湾へ流入してくる水質は大幅に改善されました。さらに、平成15年には「大阪湾再生推進会議」が発足し、関係行政機関や住民・市民、NPO、学識者、企業等の多様な主体が連携・協働し大阪湾再生に向けた取り組みが進んできています。一方で、大阪湾の二極化が進み、湾奥は富栄養負、湾口は貧栄養になるなどの問題も生じてきています。
それでも、湾奥部に位置する淀川河口でのシジミ漁の復活、大阪北港の緩傾斜護岸でのサザエの生息など、限られた範囲ですが徐々に改善が進んできています。比較的良好な環境が残されている南泉州地域でも、かつてほどの状態ではありませんが、アマモをはじめとする藻場が形成されアカテガニが海と陸を往き来するなど、多様な生き物の生息空間が戻りつつあります。
”悲しい色”の大阪の海に、希望の光が差し込み、”わくわく”する海に変わってきています。

みなさんも機会があれば大阪湾でわくわく感を味わいに来てください。

NPO法人環境教育技術振興会(CAN)理事 岩井克巳

2016年08月23日|キーワード:海,環境