第55号「東日本大震災に想う」森川雅行

第55号「東日本大震災に想う」2011.4.27配信

 このたびの東日本大震災でなくなられた方々に深い哀悼の意を示すとともに、被災された皆様に心からお見舞いを申し上げます。

 阪神淡路大震災を超える死者、行方不明者合わせて2万6千人を超える大惨事となってしまいました。マグニチュード9.0の地震、それに伴う未曾有の津波に加えて、福島原子力発電所の事故が追い討ちをかける形になり、今、日本経済に大きな影を落としています。一方、マスコミ等で伝えられる避難所や地域の皆様の様子や心意気には、頭が下がる思いがします。

 平成7年1月17日の阪神淡路大震災時、私は神戸市中央区で震度7のゆれを経験しました。当時は、運輸省第三港湾建設局の企画課長をしており、幸いに住んでいた官舎は無事で、住まいの心配をすることはなかったですが、家の中はぐじゃぐじゃで、長男は倒れてきたたんすが壁に引っかかった状態でかろうじて無傷でした。地震発生直後は、三宮界隈は火災の発生もなくなぜか静まり返っていて、着の身着のままで、無言で避難所へ向かう多くの人々を思い出します。大騒ぎするわけではなく、淡々と行動されていたことが印象的でした。

 震災直後は、余震が続く中、病院は被災者対応で十分機能せず、学校も避難所となっており、いつ授業が再開されるかわからない状態でした。宿舎の電気は比較的早く回復しましたが、水道やガスはなかなか復旧しませんでした。

 また、震災当日から神戸港を中心とした港の復興を担当しており、いつ家に帰れるかわからない状況でした。そのような状況から、当時小学生だった三人の子供たちを震災後一週間で、関西空港から妻の実家の横須賀へ送り、三学期を過ごさせました。後で長男からは、震災のとき、みんなと一緒に頑張りたかったといわれ、親と子供の想いは、違うなと実感したことを覚えています。東日本大震災は、ほとんどの面で阪神淡路大震災を超えており、多くの皆様が悲しみを乗り越え、あるいは抱きながら、復旧、復興業務に携わっておられると想います。心から敬意を表するとともにご健康に留意されますようお願いいたします。また、家族離れ離れを余儀なくされている皆様が、一日も早く再会できることをお祈り申し上げます。

 今回の東日本大震災は、「想定を超える」という言葉で逃げてはいけないと思います。港湾等の社会資本、防災行政や地域のコミュニティのあり方等多くの面で従来の対応でいいのかという課題を投げかけています。これらに真摯に立ち向かい克服していることが犠牲者に報いることだと信じます。また、海に深くかかわっているCNACは、安全面の確保を中心に今回の震災が残したものを受け止め、会員の英知を結集して、その対応を考えていくことが求められています(平成23年4月24日記)。

CNAC理事 森川 雅行・社団法人日本港湾協会 港湾政策研究所 所長代理

2011年04月27日|キーワード:震災