第182号「漕ぎ続けて見えてきたこと」紺野祐樹

第182号「漕ぎ続けて見えてきたこと」2021.11.26配信

 

 私がシーカヤックツアーのガイドを生業にしてから、いつのまにか21年が過ぎました。シーカヤックを始めてからは27年ほど。日常的に漕ぐのは、宮城県の牡鹿半島の北にある、「御前湾」と「出島(いずしま)」です。

 私がシーカヤックを始めた1990年代。シーカヤックは、アウトドア好きの間では知られていましたが、まだ日本に入ってから10年ぐらい。アウトドア雑誌に掲載されることはあっても、宮城県では車にシーカヤックを積んで走っている人はほぼ見かけない日々でした。漕ぐのは、もちろん一人。海で他のシーカヤッカーに出会うとはまず無く、奥松島や松島を漕ぐと、1日に一人か二人見かける程度でした。

 当時は、今に比べるとキャンプができる平場のある浜も多く、ストレスなくパドリングが楽しめました。ビーチには、打ち上げられたブイや漁網が若干。朽ちた缶ジュースの缶や割れた瓶などが打ち上げられていましたが、それほど気にならずにキャンプができました。

 2000年7月から、シーカヤックガイドとしての暮らしが始まりましたが、その頃から、北上川から流れてくる流木が、出島エリアに多く漂着するようになってきました。また、年々漂着する漁具は、ほとんどが石油製品なので年々数が増えていき、流木と漂着した漁具が浜の1/3を覆うような事態にもなりました。この頃から、漂流するペットボトルは見かけていましたが、漂着ゴミなかで特に目立つ感じでもありませんでした。

 東日本大震災で東北の太平洋沿岸部は強烈な攪乱を受けました。1mにもなる地盤沈下で、全てのビーチが後退し、自然海岸では海岸線の再構築が今でも進行中です。元々、台風が勢力を弱めてから通過する地域で、ビーチの平場が少なかったこともあり、震災前に比べるとキャンプができる自然海岸が著しく減少しています。牡鹿半島周辺では、ニホンジカが末期的なレベルで増えすぎ、森林の草原化がどんどん進んでいます。ビーチの後背地では、ダニとヒルが大量に生息しているため、冬以外はキャンプができません。鹿により下草を失った広葉樹林は、雨の毎に放置された植林地のように土壌流出を続けています。
 砂浜と護岸が接していた場所では、当たり前ですが砂浜が小さくなり、地元の意向をくみ取らない巨大防潮堤により、干潮時でも砂浜が現れない元砂浜が非常に多くなっています。

 そして、ここ数年、非常に存在感を増しているのがペットボトルの漂着です。空き缶や空き瓶は大半が海に沈んでいて、目に付かなかったこともあるでしょうが、自然海岸に漂着するペットボトルが非常に目に付くようになっています。場所によっては、浜のくぼみがペットボトルのゴミ箱状態になっています。そのほとんどには、中身が入って無いので投げ捨てられたペットボトルだと考えています。最近は、打ち上げられたペットボトルを片付けないと、テントを張る場所が無い自然海岸も出現しています。
 併せて、漂着し続ける漁具。とある浜では、漁網やロープの塊が浜の1/3を埋め尽くし、漂着物の上に土が堆積し、新しい生態系を形成しているところもあります。

 これらの漂着プラスチックがどれほど環境に影響を与えているのか、学術的なことは分かりませんが、気持ちよくキャンプができる海岸線が減っていることだけは確かです。そして、その多くは故意に捨てられたもの。そんな現実が見えてきます。

CNAC理事/(一社)一般社団法人日本セーフティカヌーイング協会 業務執行理事 紺野祐樹
2021年11月19日|キーワード:海ごみ、震災、カヌー