第164号「海からやって来たものたち」2020.5.29配信
今年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』をご覧になっておられる方も多いと思います。
美濃・尾張が中心舞台で私も地元人として毎週観ていますが、織田信長が海から小舟で朝日を背にして初登場した場面は印象的で、当時の織田家の領地が現在の名古屋市や知多半島周辺であったことを考えると、海は伊勢湾奥部だろうと推測できます。
ただそうすると、朝日を背にして浜に向かって来るというのは地勢的に方角が合わないとは思いましたが、ドラマの感動的なシーンとしてはまあいいかなと。
これ以上に印象に残っているのが、斉藤利政(道三)だったか娘の帰蝶だったかは忘れましたが、「美濃には海はないが、尾張には海がある」というセリフです。信長は領内での自由経済活動を通じて得た財を基にした専属部隊を基盤に成長しますが、美濃が尾張と同盟を結ぶ背景に、海が財を作り出し国を富ます貴重な資源であったことがうかがい知れます。
私の所属するNPO伊勢湾フォーラムは、「伊勢湾への恩返し」を合言葉に、「美しく豊かな伊勢湾と活力ある「みなとまちづくり」の実現」を目的に活動しています。
その活動のひとつに「伊勢湾ぶらあるき」があり、NHKの『ブラタモリ』を拝借した訳ではありませんが、伊勢湾の各地にぶらぶらと出かけて行って伊勢湾を知ろうというもので15回ほど続いており、広い伊勢湾をあちらこちらから見ていると、今は沖合を大型船が頻繁に行き来していますが、この海を通していろんな人やものが行き来したんだろうなということが想像できます。
源義朝が平治の乱で敗れ、京から伊勢湾を経由して知多半島・野間に逃れたものの、この地で討たれたこと、徳川家康が本能寺の変の後、三重・白子、伊勢湾を経て三河・大浜から岡崎城に逃れたこと、空海上人(弘法大師)が修業途中に知多半島に上陸したこと、三島由紀夫も小説『潮騒』の舞台の神島に海路で行っていること、尾州廻船が縦横に行き来したこと等々。私たちも「伊勢湾ぶらあるき」で知多半島~渥美半島~鳥羽・伊勢へと伊勢湾を海路で渡り、海から伊勢神宮への参拝のための古(いにしえ)の船参宮を現代に復活させたNPOの方々との交流も行いました。これから先もいろんな人が伊勢湾を行き来するんだろうと自然と思えて来ます。
そうした一方、今この瞬間、伊勢湾だけの話ではないのですが、病原菌や津波などというとんでもない災いが、海を介して生活の場に襲いかかってくるという歴史や現実があるということ、安全で平和な社会を守っていくためにも、今般の「新型コロナウイルス感染症」で亡くなられた方々への哀悼の意と医療従事者の皆さんへの敬意を表しつつ、海が人にもたらす怖さも決して忘れてはならないことと思っています。
とりとめもない話の末尾として冒頭に戻りますが、『麒麟がくる』の「麒麟」は何・誰?と自分なりの想像を働かせながら見ることができるのも、伊勢湾とお付き合いしているおかげかなと思いながら、ドラマの今後の展開を楽しみしているところです。
NPO法人 伊勢湾フォーラム 理事 加藤善孝
https://isewanforum.org/